救急搬送された話

年末にどうでもいい振り返り記事を書いてから息をしていなかったこのブログですが、諸事情により実家に軟禁されており暇で暇で仕方ないので何か書こうと思います。
※以下は元々公開する気のなかった個人的なメモなので、いつもと文体が違うのはお許しください
自傷行為、自殺未遂、自殺を推奨する意図はありません




2月9日、その日私は買い物をしに30分ほど離れた大きな駅に行っていた。買い物を終えた後、昼ごはんを食べていないことを思い出し、近くのマクドナルドに入った。なんとなくセットが食べたい気分だったが後から罪悪感で押し潰されることはわかっていた。私はいつもそうだ。一人のとき、何か食べたいと思ってもそれを食べ終わる頃には罪悪感と虚無感と気持ち悪い満腹感で最悪な気分になっている。そのくせ大半のお金は食費に消えていき、だからといって昔のように吐くこともできない。食事は私を衝動的で馬鹿げた行為に駆り立てるには十分なトリガーである。

ハンバーガーとポテトを機械的に口に運びながらふと思った。今日ODをしなければ。そうじゃないと私はこの虚無感を壊せない。ちなみに説明するまでもないと思うがODとはオーバードーズの略で処方薬や市販薬を大量に服用することである。私は精神科に通っていたが薬の効果を感じられなかったこともあって真面目に薬を飲んでいなかった。まるでわざと溜めているかのように机の端で増えていく薬を毎日眺めていた。軽いODなら何度もしたことがある。あのまやかしの多幸感が欲しくてたまらない。後で絶対後悔することや、親に知られる事態になれば私のせいで家族が情緒不安定になってしまうこと、どう考えても家族が一番大事とかいう自分の言動と整合性が取れないこと、それらすべては回りまわって自分の首を絞めること。全部わかっていた。わかっていたが考えないようにした。とにかくODを実行したかった。後からなんでこんなことをしたのかと周りの人に何度も聞かれたが、正直これ以上説明のしようがなかった。ODでは死ねないことはわかっていたので死ぬ気はなかった。もちろん普段から死にたい気持ちはあったものの、自分が死んで遺される家族のことを考えると死ねなかった。だからむしろ死にたくなかった。家までの30分の間に収まるかに思えた気持ちは収まるどころかどんどん膨らんでいき、私は電車の中でTwitterのアカウントを全部消した。

そして家に着いた私はお茶のペットボトルを用意して一心不乱に薬を飲み始めた。幸か不幸か私はそんなに強い薬を処方されていなかったので、これを全部飲んだとて吐いて終わるだけだということには気づいていた。だが後に引けなかった。つくづく愚かである。久しぶりのODだったこともあり、薬を飲むのには時間がかかった。パソコンでYouTubeをつけた。いつも見ているゲーム実況のチャンネル。たまたまおすすめに出てきた動画を再生し、聞き慣れた挨拶を耳にしながら私はどんどん薬を飲んでいった。

一時間くらい経っただろうか。抗うつ薬睡眠薬合わせて120錠ほどを飲んだ私は、完全にふらふらでまともに歩けなくなっていた。そして思った。一人暮らしでこのまま家にいたら死んでしまうかもしれない。直接薬の影響で死ぬことはなくても吐瀉物が喉に詰まるなどの事故はあり得る。それは嫌だ。そう考えた私は外に出ようと思った。外に出て倒れれば誰かが救急車を呼んでくれるかもしれない。もうそれに頼るしかなかった。どう考えても大迷惑なカスである。擁護のしようがない。家で自分で救急車を呼ぶという考えも、今ならなんとか薬を吐き出せるかもしれないという考えも頭から抜け落ちていた。

そうして外に出たものの、全然歩けない。なるべく家から離れようと思ったがそんなことを言っていられる状況ではなかった。吐き気が込み上げてその辺に吐いてしまいそうになるのを何とか抑えて、道の脇にうずくまった。やばい動けないどうしようと思っていると通りすがりの青年が「大丈夫?」と声をかけてくれた。うなずくだけで精一杯で、首を縦に振ったり横に振ったりしていると救急車を呼んでくれることになった。電話してくれた青年は私のことを10歳くらいだと思っていたらしいが、私は実際には19歳である。背が低すぎるとはいえ流石に情けなかった。電話をしてもらっている間に我慢できなくなって道端に吐いてしまい、道路と服を汚した。

救急車のサイレンの音がして、救急隊が来た。全く現実感がなく、まるで夢を見ているような感覚だった。立てますかと言われてなんとか立ったものの一歩踏み出すだけで倒れそうになり、最終的に担架に乗せられて救急車に乗った。睡眠薬をたくさん飲んだせいで横になるとすぐ眠ってしまいそうになり、何度も肩を揺すられた。とりあえずこれは言わないとどうしようもないと感じたので「オーバードーズしました」と伝えた。その後名前や住所、親の連絡先などを聞かれたが答えられる状態ではなく、勝手に財布の中を漁ってもらった。「できれば親に知られたくない?」と聞かれてこれは親に知られない道があるのかと一瞬期待したが別にそういうわけではなかった。未成年は絶対に連絡しないといけないらしい。だが親の携帯の番号がどうしても思い出せず、何度も意識が飛びそうになる度に肩を揺すられて、わからないと首を振るだけで精一杯だった。揺れる救急車の中で、ああ取り返しのつかないことをしてしまったと思った。だが一方であまりに現実感がなさすぎてこれは夢ではないかとずっと感じていた。夢ではなかった。現実は残酷だ。

この後もいろいろあったがちょっと書く気力がなくなったのでここで終わりにする。この後のことを思い出しても正直何の意味もないので続きは書きません。本当に申し訳ございませんでした。